怠惰な夜

流浪するピニャータと少しずるい毛布。

夏と記憶とわたしと

何年も使っていない旅行鞄を収納用に使おうと引っ張り出したら、昔かいたポエムが出てきた。怖くてまだ読んでない。

 

 

詩を書き散らすのが元々好きなので怖いいうたものの実はそれほどでもない。あとで読んでみて気に入ったらここに書き残してもいいし。

 

 

一生厨二病なので。

 

 

 

趣味や好みが子供のときのそれに戻ってきていて、とはいえ子供アニメが好きとかそういうことにはならないのだけれど(というかそのあたりの記憶はほとんどない)

 

 

幼少期から学生あたりの嫌な記憶が同時に出てくるのでなんというか良し悪し。

 

 

ここのところずっと結局これだったんだなというのは「褒められたかった」と「やらせてほしかった」なんだけれど。

 

親にあたまをなでられた記憶がひとつもないことにけっこう最近気がついて愕然としている。記憶違いとかそういう話ではなく。

 

手は、繋いだ記憶さすがにあるけど、安心感というより怖かった感触のほうがつよい。強めに引かれるしなんかすぐ叩かれていたので。まあ要らんことしてたのかもしれないけど。

 

 

こどもは一生持てないなと思う。

これに関しては他にも理由があるけれど。

 

 

でも今とても可愛がれる存在というか、わたしなしでは生きていけない存在のようなものがほしいとは思っている。

多分これはすごくゆがんだ母性本能なのだろう。

 

 

昔好きだったことがわかってないまま何かの思い出の話をしていて、連れ合いに「あなた○○好きだったんだね」と指摘されて、「好き?好きだった?のか?」みたいな、まるでロボットが初めて気持ちがわかる瞬間のベタな漫画に近い状態になることがある。

 

 

ほんとうに、よい連れ合いに出会えて、わたしは恵まれていると思う。そうじゃないと何もわからないまますり減ってゆがみにすら気づかないままある日呼吸ができなくなっていたかも。

 

 

この人になにかおかえしができることがわたしの残りの人生の生きる理由のひとつ。

 

 

 

今日も今日とて、思いつくまま。